3.人的資本論
人的資本とは、訓練及び教育によって個々の人によって備わる知識や技能の総称のことです。この概念は、教育や訓練によって、人々はより多くを生産し、高い収入を得ることができるという点に焦点を当てています。アダム・スミスからゲーリー・ベッカーまで、多くの経済学者がこの考えに貢献してきました。
1928年、アーサー・セシル・ピグーは教育が単なる消費ではなく、将来の機会を広げる投資でもあると指摘しました。この視点は、特に発展途上国で重要です。1954年にウィリアム・アーサー・ルイスは、発展途上国での経済成長には教育が不可欠であると説明し、この功績でノーベル経済学賞を受賞しました。
しかし、人的資本論を現代において最も影響力のある理論にしたのはゲーリー・ベッカーです。彼は教育と訓練がどのように個々の経済状況、そして全体の経済に影響を与えるかを詳細に解説しました。ベッカーもまた、この理論でノーベル経済学賞を受賞しています。
人的資本論は、教育と労働市場、さらには国全体の安定と繁栄にどれほど影響を与えるかを示しています。この理論は、教育政策、特に教育への投資に関する政策にも大きな影響を与えています。教育は、個々の人々がより良い未来を築くため、そして社会全体が繁栄するために、最も価値のある投資であると言えるでしょう。
人的資本の推計方法と推定結果
人的資本を推計する際に用いられる代表的な測定モデルは三つあります。
・正味現在価値法
・内部収益率
・ミンサー型賃金関数
教育経済学におけるPVC,PVB,NPV
教育経済学において、PVC(Present Value Cost)、PVB(Present Value Benefit)、およびNPV(Net Present Value)は、教育投資の価値を評価するための重要な指標です。
PVC(Present Value Cost)
PVCは、教育にかかる費用を現在価値に換算したものです。例えば、大学教育にかかる費用、失業による機会費用などがこれに該当します。
\[
\text{PVC} = \sum_{t=0}^{T} \frac{C_t}{(1+r)^t}
\]
PVB(Present Value Benefit)
PVBは、教育によって得られる将来の収益(高い給与、昇進の可能性など)を現在価値に換算したものです。
\[
\text{PVB} = \sum_{t=0}^{T} \frac{B_t}{(1+r)^t}
\]
NPV(Net Present Value)
NPVは、PVBとPVCの差であり、教育投資の純粋な価値を示します。
\[
\text{NPV} = \text{PVB} – \text{PVC}
\]
具体例:MBAプログラム
例として、MBAプログラムに投資するケースを考えます。
– **PVC(費用の現在価値)**: 2年間で合計$40,000(1年目$20,000、2年目$20,000)
\( \text{PVC} = \frac{20,000}{(1+0.05)^1} + \frac{20,000}{(1+0.05)^2} = 19,047.62 + 18,140.59 = 37,188.21 \)
– **PVB(収益の現在価値)**: MBA取得後、毎年$10,000の給与アップが10年間続くとする。
\( \text{PVB} = \sum_{t=1}^{10} \frac{10,000}{(1+0.05)^t} \)(この計算は約$77,110.20になります)
– **NPV(純現在価値)**:
\( \text{NPV} = 77,110.20 – 37,188.21 = 39,921.99 \)
この例では、NPVが正であるため、MBAプログラムへの投資は価値があると評価できます。このように、教育経済学ではPVC、PVB、およびNPVを用いて、教育への投資の価値を定量的に評価します。
内部収益率(IRR)と教育経済学
内部収益率(Internal Rate of Return、IRR)は、投資プロジェクトの収益性を評価するための指標の一つです。教育経済学においても、IRRは教育への投資がどれだけ効果的かを評価するために用いられます。
内部収益率(IRR)の定義
IRRは、投資の純現在価値(NPV)がゼロになるような割引率です。数学的には以下のように表されます。
\[
0 = \sum_{t=0}^{T} \frac{C_t – B_t}{(1+IRR)^t}
\]
ここで、\(C_t\) は時点 \(t\) でのコスト(教育費用など)、\(B_t\) は時点 \(t\) での収益(将来の給与増加など)です。
教育経済学におけるIRRの意義
教育に投資する場合、その投資が「元が取れる」かどうかを知りたいと思うでしょう。IRRはまさにその疑問に答える指標です。IRRが高ければ高いほど、その教育プログラムへの投資は効果的であると言えます。
具体例:大学教育
例として、4年制大学に行く場合を考えます。
– コスト(\(C_t\))**: 4年間で合計$80,000(1年ごとに$20,000)
– 収益(\(B_t\))**: 大学卒業後、毎年$5,000の給与アップが40年間続くとする。
この場合、IRRは以下の方程式を解くことで求められます。
\[
0 = \sum_{t=1}^{4} \frac{-20,000}{(1+IRR)^t} + \sum_{t=5}^{44} \frac{5,000}{(1+IRR)^t}
\]
この方程式を解くと、IRRが例えば8%だったとすると、この大学教育への投資は年間8%のリターンが期待できると解釈できます。
このように、教育経済学においてIRRは、教育への投資が将来どれだけの収益をもたらすかを評価する有用な指標となります。
ミンサー型賃金関数と教育経済学
ミンサー型賃金関数は、労働経済学および教育経済学において、個々の労働者の賃金(収入)を説明するためのモデルです。この関数は、ジェイコブ・ミンサー(Jacob Mincer)によって初めて詳細に研究されました。ミンサー型賃金関数は、教育と労働市場経験がどのように労働者の賃金に影響を与えるかを理解するための重要なツールです。
ミンサー型賃金関数の基本形
ミンサー型賃金関数は通常、以下のような形で表されます。
\[
\ln(W) = \alpha + \beta E + \gamma X + \delta X^2 + \epsilon
\]
ここで、
– \( \ln(W) \) は自然対数を取った賃金
– \( E \) は教育年数
– \( X \) は労働市場での経験年数
– \( X^2 \) は経験年数の二乗(経験の効果が減少することを捉える)
– \( \alpha, \beta, \gamma, \delta \) はパラメータ(係数)
– \( \epsilon \) は誤差項
教育経済学における意義
1. 教育の収益性: \( \beta \) は教育年数が1年増えるごとに、賃金が何%増加するかを示します。この値が大きいほど、教育への投資が効果的であると言えます。
2. 経験と賃金の関係: \( \gamma \) と \( \delta \) は労働市場での経験が賃金に与える影響を示します。特に \( \delta \) が負の値を取る場合、経験が一定以上になるとその効果が減少する(次元効果)ことがわかります。
3. 教育と経験のトレードオフ: \( \beta \) と \( \gamma \) の大小関係から、教育と労働市場経験のどちらが賃金により大きな影響を与えるかも評価できます。
4. 政策評価: この関数を用いて、教育への公的投資や労働市場政策の効果を定量的に評価することが可能です。
ミンサー型賃金関数は、教育と労働市場のダイナミクスを理解し、効果的な教育政策や労働市場政策を設計するための基礎的なフレームワークを提供します。
人的資本推計と可能性
日本の大学教育は経済的な側面で大きな課題を抱えています。OECD諸国と比較すると、日本は公的な教育支出が少なく、その負担が家庭に大きくかかっているというのが現状です。この状況を改善するためには、大学の収益率や内部収益率といった経済効果指標が注目されています。これらの指標は、学生や保護者が大学選びをする際の重要な参考情報となるだけでなく、大学や政府が教育政策を考える上でも非常に有用です。
しかし、これらの経済効果指標には慎重な解釈が求められるでしょう。例えば、収益率が低いとされる学部や専門分野を単純に「採算が合わない」と判断して削減や廃止をするのは問題があります。教育は単なる「商品」ではなく、その社会的、文化的価値も高く評価されるべきです。その学部や専門分野が将来的に社会や産業にどのような影響を与えるか、長期的な視点での考察が必要だと考えられます。
さらに、教育には「市場の失敗」も存在します。市場メカニズムだけでは維持できないが、社会全体にとって重要な教育内容もあります。このような教育内容に対しては、公的資金をより多く充てることで、家庭の負担を軽減する方向性が考えられるでしょう。
このような多角的な視点からの研究と議論は、日本の大学教育が今後どのように進化していくべきかについての重要な指針を提供します。それは、個々の学生がより良い未来を築くため、そして社会全体が繁栄するために、教育という「投資」がいかに重要であるかを明示するものでもあります。