【入門】やさしい教育経済学 – 4.人体資本論で説明できないこと

4.人体資本論で説明できないこと

これまで人的資本論に対して寄せられてきた疑問と反論には以下がある。
・教育が経済成長をもたらすといえるのか。
・教育の効果を測ることはできるのか
・同じ教育を受けても賃金が異なるのはなぜか
・勉学に励んだものとそうでないものの初任給が変わらないのはなぜか
・教育を受けなくても生産性や賃金が高いものがいるのにどのように説明されるか
・生産性と所得を高めるのに、それだけの量の教育は必要なのか

 

教育と経済成長の関係は一見明確に見えるが、実際には多くの複雑な要素が絡み合っています。また教育が経済成長を促進するのか、逆もまた真である可能性があります。この相互作用の中で、教育が先行するのか、それとも経済成長が教育を促進するのかは一概には言えません。さらに、教育の効果を測定すること自体が困難であり、多くの要因が影響を与えるため、教育だけが所得や生産性に与える影響を単純に測定するのは難しいです。この点で「アルファ要因」、すなわち個々の人が教育を受ける前から持っている能力や資質が、教育の効果や経済成長にどれだけ影響を与えるのかが問題となります。

 

賃金の面でも複雑性が現れます。同じ教育レベルでも賃金に差が出る場合があり、これは学位そのものが市場で価値を持つ「シープスキン効果」や、学位が能力の「シグナル」として機能する「シグナリング理論」によって説明されることもあります。また、教育を受けなくても高い生産性を持つ人々がいること、例えば職人やカリスマ美容師などは、教育以外の形態の人的資本、例えば「腕」や「経験」が重要であることを示しています。

 

最後に、教育量と労働市場のニーズとの間には乖離が存在し、「過剰教育」や学歴インフレが問題となる場合もあります。これらの要素を総合すると、教育と経済成長の関係を理解するためには多角的な視点と緻密な分析が必要であり、それが可能であれば、より効果的な教育政策や経済戦略が展開できるでしょう。

 

 

アルファ要因

アルファ要因と呼ばれる、生まれつき備わっている能力や意欲は、私たちの生産性やパフォーマンスにおいて無視できない影響を持つことが指摘されています。このアルファ要因には、遺伝的なアビリティ(Ability)や、学びたいという意欲、更には社会的な野心を表すモビリティ(Mobility)が含まれます。例えば、難関校に進学したいと考えるのは、このモビリティの一形態と言えるでしょう。

こうした生得的な要素が、教育を受ける前から存在し、また教育を受けた後のパフォーマンスにも影響を与える場合、教育投資だけが全てではないという視点が重要になります。つまり、教育がもたらす知識や技能の向上も、実はアルファ要因に起因する部分が大きい可能性があるのです。

この観点から、政策制定においては新たな疑問が浮かび上がります。生産性を向上させるためには、教育への予算割り当てよりも、人々のアビリティやモビリティを向上させるための方策に注力するべきかもしれません。具体的には、就学前の子供たちへのサポートや親世代への失業保障、食料供給プログラムなど、より多くの社会保障政策に資源を振り分けることが考慮されるべきです。

とくに、貧困層の家庭では、子供たちが十分な栄養を摂れず、また良い教育環境に恵まれないことで、その能力や意欲が十分に発揮されないケースが多くあります。このような状況を改善しない限り、教育によって得られる利益も限定的であると言えるでしょう。

要するに、生産性や収入の向上において、教育が持つ効果は確かに重要ですが、その効果がどれだけアルファ要因に依存しているのかを理解し、その上で政策を策定する必要があります。そのためには、アルファ要因と教育効果の関連性をしっかりと把握した上で、政策の優先順位をつけることが必要です。そしてそれには、信頼性の高い研究と分析が不可欠です。

アルファ要因を数式で表現するとどうなるのでしょうか?先ほど紹介したミンサー型賃金関数を使って表現してみましょう。数式で表すと、\(\ln W = \alpha_0 + \beta_1 S + \beta_2 EX + \beta_3 EX^2 + \epsilon\) となります(賃金(\( W \)),教育年数(\( S \)),経験年数(\( EX \)))。ここで、\(\ln W\) は賃金の自然対数、\(\alpha_0\) は定数項、\(\epsilon\) は誤差項です。

この式に個々の能力を示す変数 \( A \)(多くの場合IQで代替される)を加えると、\(\ln W = \alpha_0 + \beta_1 S + \beta_2 EX + \beta_3 EX^2 + \beta_4 A + \epsilon\) となります。この新しい式では、\(\beta_4\) が \( A \)(またはIQ)の係数となり、その値が賃金にどれだけ影響を与えるかを示します。

この式を使って分析を行うと、教育と経験が賃金に与える影響が、実は \( A \) によって部分的に説明される可能性が出てきます。言い換えれば、高い \( \beta_4 \) 値が観測された場合、賃金に対する教育と経験の影響(\(\beta_1\)、\(\beta_2\))が低下する可能性があり、それは能力 \( A \)(またはIQ)が大きな影響を持っていると解釈されます。

しかし、IQを能力 \( A \) の代わりに使うことには問題があります。IQは年齢、教育環境、その他の社会的要素に影響される可能性があります。さらに、IQ以外にも、人々の能力や賃金に影響を与える多くの他の変数が考慮されるべきです。

総じて、教育と個々の能力が賃金に与える影響を理解するには、このような複数の要因を総合的に考慮する必要があります。そして、それが効果的な教育政策や労働市場政策の設計に役立つでしょう。

 

 

シグナリング

シグナリング理論は、マイケル・スペンスによって広く知られるようになりました(Spence 1973; 1974)。この理論は、教育や資格が個々の「能力」を示す「信号」として機能すると考えます。つまり、教育は必ずしも生産性を直接高めるわけではなく、高い教育水準を持つ人が高い能力を持っている可能性が高いという「信号」を送るために存在するとされます。例えばサッカーの例で考えてみましょう。想像してみてください。あなたがサッカーチームの監督で、新しい選手を選ぶ必要があります。しかし、選手たちの実際のスキルを知る方法がありません。ただ、選手たちがどれだけ練習に励んでいるかはわかります。

1. 高い能力を持つ選手(優秀な学生): この選手は自然な才能があり、練習も効率的にこなします。彼は少ない時間(低いコスト)で高いスキル(高い生産性)を維持できます。

2. 低い能力を持つ選手(平均的な学生): この選手は自然な才能が少なく、同じスキルレベルに達するためには多くの時間(高いコスト)が必要です。

 

・シグナルとしての練習時間(教育)

選手たちは練習時間を「シグナル」として使います。多くの練習時間を積んでいる選手は、一般に高いスキルを持っている可能性が高いとみなされます。しかし、実際には練習時間(教育)自体がスキル(生産性)を高めているわけではありません。それは単に「シグナル」です。

 

・監督(企業)の選択

監督としては、多くの練習時間を積んでいる選手(高い教育水準を持つ人)を選びたくなります。なぜなら、その選手が高いスキルを持っている可能性が高いからです。

この例からわかるように、シグナリング理論は「教育や資格は、個々の能力の“シグナル”として機能する」と説明しています。練習時間(教育)が多い選手(高学歴の人)が選ばれやすい(高い賃金を得る)のは、その「シグナル」が高い能力を示している可能性が高いからです。

このようにして、シグナリング理論は教育と能力、そしてそれがどのように賃金や採用に影響するかを説明します。

 

 

・能力と教育費用

シグナリング理論では、高い能力を持つ人は教育にかかるコスト(時間、金銭)が相対的に低いとされます。このため、高い能力を持つ人が教育を受けやすく、それが「信号」となって高賃金を得られる機会が増えます。逆に、能力が低いとされる人は、教育に多くのコストがかかるため、教育を受けるインセンティブが低くなります。

 

 

・シグナリングと人的資本論

この理論は、教育が生産性を直接高めるという「人的資本論」に対する一種の反論ともされます。しかし、両者は排他的ではありません。教育が生産性を高める場合もあれば、シグナリングとして機能する場合もあります。実際、多くの研究者は、教育がこれらの複数の役割を同時に果たしていると考えています。

応用例としては、シグナリング理論は労働市場だけでなく、保険、政治、商取引など多くの分野で応用されています。例えば、高い保険料を払っている人が低リスクである可能性が高いという「信号」を送る場合、保険会社はその信号に基づいて判断を下すことがあります。

 

・教育政策への影響

シグナリング理論が示すところによれば、教育費用の公的支援(奨学金など)が増えると、シグナリングの効果が薄れる可能性があります。これは、能力が低いとされる人々も教育を受けやすくなり、その結果として「信号」の価値が低下する可能性があるからです。

以上がシグナリング理論の主要なポイントです。この理論は、個々の能力や資質をどのように評価するか、そしてそれが社会や経済にどのような影響を与えるかについて、非常に洞察に富んだ視点を提供しています。

 

 

教育過剰

 

教育過剰とはなんでしょうか?教育過剰(Overeducation)とは、個々の労働者が持つ学歴が、その人が就いている仕事に必要な学歴よりも高い状態を指します。この現象は、労働市場におけるスキルミスマッチの一形態であり、経済的、社会的、心理的な側面で多様な影響を及ぼします。

 

このような教育過剰が起きる背景には主に二つの理論があります。一つは人的資本論です。この理論によれば、高度なスキルや知識が必要な仕事が増えているため、それに対応するためにはより高い学歴が必要とされます。2つ目はシグナリング理論です。この理論は、高い学歴がその人の一般的な能力や適性、努力の「証明」とされ、それが就職の必要条件となっていると説明します。

 

では、なぜこの教育過剰が問題なのでしょうか?教育過剰は、労働市場において高学歴者が低学歴者の仕事に進出することで、低学歴者の雇用機会が減少するとともに、賃金の停滞のリスクが高まります。この現象は、高学歴者が自身のスキルや知識を十分に活かせない職に就くことで、企業の生産性の低下を引き起こす可能性があるだけでなく、労働者自身もスキルミスマッチによる不満やストレスを感じることが増え、その結果、長期的には精神的な健康問題に繋がる恐れがあります。以上のことからも、無視できない問題となっています。

 

教育過剰とは、例えば、大学で数学を専攻して博士号まで取得したけれど、その後の仕事がコンビニの店員だった場合、その人の学歴はその仕事に対して「過剰」です。このような状況は、労働市場で「スキルミスマッチ」と呼ばれる現象の一つで、経済や社会、心の健康にも影響を与えます。

 

なぜこんなことが起きるのかというと、大きく二つの理由があります。一つ目は、高度なスキルや知識が必要な仕事が増えているからです。つまり、未来の仕事に備えて高い学歴を求める人が多いのです。二つ目は、高い学歴が一種の「証明」になると考えられているからです。例えば、大学に入るためには高校でいい成績を取らなければならないとされているように、高い学歴がその人が頭がいいとか、努力家だとか、そう信じられているわけです。

 

この教育過剰が問題なのは、例えば、大学を卒業してもコンビニで働いていると、その人の持っている数学のスキルはほとんど使われません。それどころか、高学歴であるためにコンビニの仕事でも高い給料を期待するかもしれませんが、実際にはそうはならず、給料は低いままです。そして、その人は「こんなはずじゃなかった」とストレスを感じ、長期的には心の健康にも影響を与える可能性があります。

 

このように、教育過剰は個々の人だけでなく、社会全体にも影響を与える大きな問題です。だから、この問題に対する理解と対策が必要なのです。