国家の成功のカギは?
ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)とジェイムズ・ロビンソン(James Robinson)の『国家はなぜ衰退するのか』(原題:Why Nations Fail)は、なぜ国ごとに繁栄と貧困の差が生まれるのかを解明する野心的な書です。本書は、経済発展の鍵が「包括的な制度」と「政治的参加」にあると主張し、その欠如が貧困を招く原因としています。著者たちは、歴史的事例を活用し、「制度の質」が経済的繁栄を決定づけることを示しています。
アセモグルとロビンソンは国家の成否を左右する最も重要な要因として「包括的制度(inclusive institutions)」と「収奪的制度(extractive institutions)」を挙げます。包括的制度は、国民が自由に経済活動に参加でき、成果を享受できるような枠組みを提供し、政治的にも幅広い参加を促進します。たとえば、イギリスの名誉革命(1688年)は、民主的制度の基盤を築き、経済成長の土壌となったと論じられます。
一方で、収奪的制度は、特権階級が富を独占するための枠組みであり、社会全体の進歩を妨げます。例えば、スペインによるラテンアメリカの植民地支配は、現地の資源を収奪する制度を確立し、貧困の連鎖を生みました。著者たちは、国家が包括的制度を持つかどうかが、その国の繁栄の分かれ目になると説いています。
本書は、伝統的な地理的要因説や文化的要因説を批判し、経済発展は「制度と政治」が主導するものであるとします。著者たちは、ノーベル経済学賞受賞者ダグラス・ノースの「制度経済学」を拡張し、経済政策の成功には包括的な政治制度の存在が不可欠であることを示します。たとえば、中国の成長が収奪的制度の下で持続できない理由を、本書は「創造的破壊(creative destruction)」の抑制に求めています。創造的破壊が許されないと、新しい技術や産業が育たないため、経済成長は停滞します。
豊富な歴史的事例を活用し、制度と経済の関係を説得力を持って解説しています。制度の変革が経済発展の鍵であり、同時にその変革がいかに難しいかも示されています。特に、政治エリートが自己利益を守るために改革を阻止する例が多く取り上げられており、制度的進化の困難さが浮き彫りになっています。
この書は、日本を含む現代社会の制度設計や政治経済政策への示唆にも富んでいます。経済発展においては、単なる技術革新や政策変更では不十分であり、制度全体の変革が必要であることを示唆する重要な一冊です。全体的に、本書は学術的にも実務的にも非常に有益な洞察を提供し、多くの示唆をもたらします。
第1章
こんなに近いのに、こんなに違う
近接する地域の格差を制度で説明する。第1章では、米国のアリゾナ州ノガレス市(Nogales, Arizona)と、すぐ南のメキシコ・ソノラ州ノガレス市(Nogales, Sonora)という2つの地理的に近い地域が、なぜ大きく異なる繁栄を遂げているのかを描き、制度の重要性を強調します。
比較:アリゾナ州とソノラ州の違い
- Nogales, Arizona(米国側)
- 住民の平均年収は約3万ドル。
- 多くの人が高校を卒業し、医療制度(メディケア)へのアクセスも充実している。
- インフラが整備され、治安も安定しているため、ビジネスの創業がしやすい環境。
- 住民は民主的な選挙を通じて政治に参加し、政治家を選ぶことができる。
- Nogales, Sonora(メキシコ側)
- 世帯平均年収は米国側の約3分の1。
- 教育水準や公共サービスが劣り、健康面でも多くの課題がある。
- インフラは未整備で、治安も悪く、ビジネスにはリスクが多い。
- 政治は腐敗しており、住民の政治参加は限られている。2000年以前は長年、与党PRIの独裁的支配が続いていた。
地理や文化ではなく「制度」が要因
この2つのノガレスは、同じ文化的背景や気候条件を共有しながら、経済的・社会的な発展で大きな差がついています。著者たちは、この違いを「制度の違い」に求めます。
- 米国側の包括的制度
米国では、自由な経済活動と政治参加が保障され、住民が利益を享受できる環境が整っています。これにより、創造的破壊が促進され、経済成長が持続します。 - メキシコ側の収奪的制度
メキシコでは、特権階級が富を独占し、多くの人々が貧困から抜け出せない構造が続いています。このような収奪的制度の下では、経済活動が抑制され、成長が阻まれます。
歴史的背景の重要性
著者たちは、この制度の違いが植民地時代から続く歴史的な背景によって生まれたと主張します。米国の制度は、17世紀の名誉革命や独立革命によって進化し、民主主義的な枠組みを整えました。一方、メキシコは、植民地時代の収奪的な経済体制を維持し、政治的改革が遅れたことが現在の格差に繋がったと説明します。
第1章では、経済的成功は地理や文化ではなく、制度によって決まるという著者たちの核心的な理論が示されます。同じ文化圏に属する地域でも、異なる制度が適用されることで経済的な格差が生まれることを、ノガレスの事例が象徴的に示しています。これにより、包括的な制度の必要性が強調され、国家が繁栄するための条件が浮き彫りになります。
第2章
役に立たない理論
第2章では、国の繁栄や貧困の原因について、広く支持されている従来の理論を検討し、それらの限界を指摘します。アセモグルとロビンソンは、これらの理論が直感的であるにもかかわらず、国際的な経済格差の核心を捉えられていないと批判し、制度に焦点を当てた彼らの理論を導入します。
取り上げられる「うまくいかない理論」
- 地理的要因説
- 主張:地理や気候が国の発展を左右する。熱帯地域では病気が多く、生産性が低いため、貧困が生じる。
- 著者の批判:同じ地理的条件にある国でも、制度によって経済状況が大きく異なる。たとえば、北米と中南米の違いは、地理ではなく植民地時代の制度の違いによるものだと論じます。
- 文化的要因説
- 主張:国の文化的背景や宗教が経済発展に影響を与える。たとえば、プロテスタント文化が経済的成功を促進したとする理論など。
- 著者の批判:文化は経済発展の結果として変化するものであり、それ自体が原因ではないと指摘します。さらに、同じ文化圏内でも経済格差が存在することがこの理論の限界を示しています(例:韓国と北朝鮮)。
- 無知に基づく政策説
- 主張:発展途上国の政府は、効果的な経済政策を知らないために成長できない。適切な政策助言があれば発展が可能であるとする見解。
- 著者の批判:問題は無知ではなく、支配的なエリート層が自己利益を守るため、意図的に収奪的な制度を維持していることにあると指摘します。
経済発展の鍵は「包括的制度」にあるということです。従来の理論が説明できないような事例が多く存在し、これらの理論では各国の繁栄や貧困の根本的な要因を解明できないと述べています。著者たちは、経済成長をもたらす制度の質が、政治的権力の分配と密接に関連していることを強調します。
貧困の根本的な原因を見誤ることが、問題解決を阻む大きな障害であると警告します。本章では、単純な地理的・文化的な説明を退け、経済政策の背後にある政治的・制度的要因に注目する必要があると示します。この理論は、後続の章で紹介される歴史的事例と結びつき、制度の変革が経済発展に不可欠であることを具体的に示すための基盤となっています。
第3章
繁栄と貧困の形成過程
繁栄と貧困を決定する制度の役割について、著者たちの核心的な理論が提示されます。AcemogluとRobinsonは、経済の成否が主に「包括的制度(inclusive institutions)」と「収奪的制度(extractive institutions)」によって決まるとし、それぞれの制度がどのように経済活動や発展に影響を与えるかを説明します。
包括的制度と収奪的制度の違い
- 包括的制度(Inclusive Institutions)
- 経済活動への幅広い参加を促し、個人や企業が自由に創造的な活動を行うことを可能にする制度。
- 市場経済を支え、財産権を保障し、法の下での平等を提供する。
- 政治的にも開かれており、広範な国民の参加を促すことで、権力の集中を防ぎます。
- 例:産業革命後のイギリスでは、包括的制度がイノベーションを促し、長期的な経済成長を支えました。
- 収奪的制度(Extractive Institutions)
- 経済活動を一部のエリート層に制限し、国民の富を特権階級が独占する制度。
- 財産権が保証されず、不平等な制度が固定化されるため、成長が妨げられる。
- 例:スペインによるラテンアメリカの植民地支配は、労働力と資源の収奪を目的とした収奪的制度の典型例です。
政治と経済制度の関係
著者たちは、経済制度は政治制度によって決まると強調します。具体的には、政治権力が一部のエリート層に集中している場合、エリート層は自己利益を守るために収奪的制度を維持します。一方で、政治権力が広範に分散されている場合、包括的制度が生まれやすくなります。
また、包括的な経済制度は「創造的破壊(creative destruction)」を促しますが、これはエリート層にとって脅威となるため、収奪的制度の下ではこれが抑制されます。こうした制度の進化は「経路依存性 / パス・ディペンデンス(path dependence)」と呼ばれる歴史的な経路依存に大きく影響されるため、制度の変革は非常に困難であるとしています。
インセンティブの役割
著者たちは、経済制度が人々のインセンティブをどのように形成するかにも注目しています。包括的制度の下では、個人や企業が努力して成功を目指すインセンティブが高まりますが、収奪的制度では、そのインセンティブが抑えられます。
例えば、包括的制度のある国では、教育や企業活動への投資が促進され、持続的な成長が可能になります。反対に、収奪的制度の国では、国民は成果を収奪されるため、努力する意欲が低下し、成長が停滞します。
経済発展の要因として「制度」が持つ決定的な力を強調しています。地理や文化といった要因ではなく、政治的・経済的な制度が繁栄と貧困を生み出す鍵であると結論づけています。包括的制度を構築することが、持続可能な経済成長と社会の安定をもたらすために不可欠であることを歴史的な事例を交えて説いています。
第4章
小さな相違と決定的な岐路―歴史の重み
制度の違いがどのように歴史的に生まれ、それが社会の発展に影響を与えるかを解説します。著者たちは「小さな違い(small differences)」と「転換点(critical junctures)」という概念を導入し、些細な違いが歴史の重要な局面で大きな影響を与えることを説明します。この章では、国家が異なる経路をたどる理由を歴史的背景から掘り下げ、制度の発展における「経路依存性(path dependence)」の重要性を強調します。
小さな違いが生む制度の分岐
- 著者たちは、同じ文化や地理的条件を共有する社会でも、わずかな初期の違いが長期的に大きな影響を及ぼすと指摘します。
- 例:北米の植民地(例:米国)とラテンアメリカの植民地(例:メキシコ)は、いずれもヨーロッパ諸国によって支配されましたが、最終的に異なる政治・経済制度を発展させました。
これらの違いは、初期の政策や社会的状況に由来するものであり、経路依存的に制度の進化を固定化しました。
転換点(Critical Junctures)とその重要性
- **転換点(critical junctures)**は、歴史の中で特定の出来事や状況が、国家の制度を劇的に変化させる重要な瞬間を指します。
- 例1:1688年のイギリスの名誉革命は、権力を制限し、包括的制度を構築する道筋を作りました。
- 例2:産業革命は、政治的・経済的な権力の再配分をもたらし、持続的な成長を可能にしました。
これらの転換点がどのように利用されるかによって、社会が繁栄に向かうか、停滞や衰退に向かうかが決まります。
経路依存性(Path Dependence)の影響
- 一度制度が確立されると、その社会はその制度の影響を受け続けます。これが経路依存性であり、過去の選択が未来の選択を制約する仕組みです。
- 例:スペインの植民地支配によって作られた収奪的制度は、ラテンアメリカ諸国の独立後も存続し、経済発展を阻害し続けました。
このように、制度が一度固定されると、それを変えるのは非常に困難になります。
歴史的事例を用いた分析
著者たちは、アメリカ大陸での植民地政策の違いを例に、収奪的制度がその後も再生産される過程を解説します。一方で、歴史的な転換点をうまく活用した国(例:イギリス)は、包括的制度を採用し、長期的な繁栄を実現しました。社会や国家がなぜ異なる制度を発展させるのかを、歴史的な観点から説明しています。特に、小さな違いが歴史の転換点で大きな役割を果たし、その後の制度的経路を固定することを強調しています。また、過去の出来事が未来の制度選択を制約する「経路依存性」の重要性も示しています。この分析により、制度の変革がいかに難しいかが明らかにされます。
第5章
「私は未来を見た。うまくいっている未来を」―収奪的制度のもとでの成長
収奪的制度の下でも経済成長が可能であることを論じていますが、そうした成長には持続性が欠け、最終的に限界に直面する点が強調されています。
収奪的制度の特徴と成長の限界
- 収奪的制度は、権力者やエリート層が富を独占し、社会全体の利益ではなく自らの利益を優先する制度です。
- この制度の下では、国家が経済活動を強力に管理することで、短期間の成長が見られることがあります。
- 例:ソビエト連邦の急速な工業化と経済成長。
ソ連の成長とその限界
- ソビエト連邦は1928年から始まった五カ年計画を通じて、農業から工業へとリソースを移行し、高い成長率を達成しました。
- しかし、この成長は既存の技術の利用によるものであり、革新や創造的破壊が欠如していたため、持続不可能なものでした。
- ソ連経済は1980年代以降、停滞し、その後の崩壊に繋がりました。
収奪的制度における政治的集中と不安定性
- 収奪的制度は、政治権力を少数のエリート層が掌握し、経済資源の支配を通じて自らの地位を維持することに依存します。
- しかし、権力と富の集中は内部抗争を引き起こし、国家の不安定性を助長します。その結果、経済成長は持続できず、衰退へと向かいます。
中国のケースとの比較
- 中国の近年の経済成長も、収奪的制度の一例として比較されています。国家主導の急成長は見られますが、創造的破壊や真の技術革新が制限されているため、長期的な発展は不透明とされています。
- 収奪的制度の枠組みを維持する限り、持続的な成長には限界があると著者たちは指摘します。
収奪的制度の下でも一時的な経済成長が可能であることが示されていますが、その成長は長続きしません。権力の集中による内部対立や、技術革新の欠如が制度の停滞と崩壊を招くためです。本章は、持続的な成長のためには、収奪的制度を包括的制度に転換する必要性を強調しています。
第6章
乖離
ベネチア共和国の繁栄と衰退が取り上げられ、制度の変化が国家の発展と停滞にどのように影響を与えるかを探ります。ベネチアは中世において世界で最も繁栄した都市の一つでしたが、最終的には「博物館」と化し、経済的・政治的な影響力を失いました。著者たちは、この過程が収奪的制度への変化によるものであると説明します。
ベネチアの繁栄の背景
- 包括的経済制度の導入
- ベネチアは初期には包括的な制度を備えていました。これにより、商業活動への参加や社会的流動性が促進され、若い企業家たちが「コメンダ」(commenda)と呼ばれる契約により、貿易活動を通じて成功する道が開かれていました。
- コメンダは、一方が資本を提供し、他方が商業ミッションを遂行することで利益を共有するシステムであり、当時のベネチアでは社会的上昇の重要な手段となっていました。
包括的制度から収奪的制度への変化
- 時が経つにつれ、ベネチアの政治と経済の制度は徐々に収奪的制度に移行しました。少数のエリート層が権力を独占し、新たな参加者が経済活動に参入することが制限されていきました。
- その結果、イノベーションが阻害され、社会的な停滞が起こりました。権力が限られたエリートに集中したことで、ベネチアは他の地域との競争力を失っていきます。
衰退の結果
- 制度の硬直化により、ベネチアは創造的破壊や技術革新を導入する能力を失い、「博物館」のような存在となりました。つまり、過去の栄光を保持する一方で、もはや革新や経済的な影響力を持たない都市に変貌していったのです。
- この歴史は、収奪的制度への移行が長期的な経済成長を阻害するという重要な教訓を提供しています。
ベネチアの事例を通じて、制度が国家の運命を左右することが強調されています。初期の包括的制度が成長をもたらした一方で、収奪的制度への移行が衰退を招いたのです。この分析は、他の国々にも通じる一般的な教訓を提供し、包括的制度を維持することの重要性を示しています。
第7章
転換点
この章では、1688年のイングランド名誉革命を取り上げ、制度の変革がいかに経済発展に決定的な役割を果たすかを説明しています。著者たちは、名誉革命が包括的な政治制度と経済制度の基盤を築き、これが後の産業革命と経済的繁栄の基礎を形成したと論じています。
名誉革命の影響
- 政治制度の変化:名誉革命により、絶対君主制から議会主導の政治体制に移行しました。これにより、法の支配と財産権の保障が強化され、エリート層の利益が国全体の発展と結びつくようになりました。
- 経済活動の促進:政府による任意の課税が制限され、契約や財産権の保障が確立されたことで、投資と商業活動が活発化しました。
制度の変革と産業革命への道
- 名誉革命は、新興の商業エリートが政治に参加し、市場経済の基盤が整うきっかけを提供しました。これにより、自由な取引が可能となり、産業革命の発展が加速しました。
- 著者たちは、包括的制度が経済成長を支える重要な要因であるとし、イングランドがこれを構築したことが、長期的な繁栄の鍵であったと指摘します。
経路依存性と他国との比較
- イングランドの成功は、名誉革命という転換点(critical juncture)をいかにうまく利用したかに依存していました。これとは対照的に、フランスやスペインなどでは、収奪的制度が維持され、経済成長が阻害されました。
- このように、制度の転換点での選択がその後の国の発展に与える影響がいかに大きいかが強調されています。
名誉革命がイングランドの政治・経済制度の転換点となり、これが産業革命と持続的な経済成長の土台を築いたことが示されています。この章は、国家が包括的な制度を構築できるかどうかが、その国の未来を決定する鍵となるという重要な教訓を提供しています。
第8章
領域外―発展の障壁
印刷技術や経済制度の普及に対する抵抗が、いかにして国家の発展を妨げるかを取り上げています。特に、オスマン帝国やその他の国家が、新しい技術や制度を採用しなかった理由を通じて、発展の障壁がどのように生まれるかを分析します。
技術と制度の採用に対する抵抗
- オスマン帝国の例:
- オスマン帝国では、西洋で広まった印刷機の導入が長期間にわたって拒否されました。これは、既得権益を持つエリート層や宗教指導者が新しい情報技術を脅威とみなし、社会的・政治的な安定を維持するために阻止したためです。
- 結果として、オスマン帝国はヨーロッパ諸国に比べて教育水準や情報の普及で大きく遅れを取り、これが経済発展の停滞につながりました。
- 制度の閉鎖性が経済発展を妨げる仕組み:
- 新しい技術や制度が普及すると、既存の権力構造が脅かされる可能性が高まります。そのため、収奪的な支配体制の下では、変化への抵抗が強まり、発展の妨げとなります。
他の事例との比較
- 著者たちは、オスマン帝国の事例を他の地域と比較し、同じ技術革新に対する異なる対応が国ごとの発展の差を生んだと指摘します。
- 例えば、ヨーロッパ諸国では、印刷機が早期に導入され、情報の普及が促進されました。これが経済的な革新と教育の拡大を後押ししました。
発展の障壁として、技術や制度の普及を阻む収奪的な権力構造の重要性を強調しています。これらの障壁は、短期的には支配者層の安定を維持するかもしれませんが、長期的には国家全体の経済発展を阻害します。この章は、制度的開放性が技術革新と経済成長のために不可欠であることを強調しています。